赤門建立

 講は一人一人から集めた講金を五人組の組頭が町名主に届け、町名主は町年寄宅へ持参
した。手不足で集金できない所へは、源五郎やその子分たちが応援に行った。雨の日も風の
日も雪の日も炎天の日も一日も欠かさず、三ヶ年を費やし約五〇〇両の資金となった。まさに
貧者の一灯でこの他に篤志者の協賛を得て工事費はようやく目標額に達し安永七年秋に山
門は完成して、源五郎の大願は成就したのである。崩れかかっていた人心を山門建立に収斂
させ、見事にまとめ上げた源五郎の手腕は、住民から救民の志士として大いに賞賛されたの
である。



慈光寺へ入口である赤門通りに掲げられた市の説明文。



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 目明役                                                 手水盤寄進