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前夜はセビリヤのホテルに19:00着。夕食は仔牛のシチュウーだったが、やはり口に合わ
ず残してしまった。8:30ホテルを出て、スペイン広場に向かう。ここはかなり前に万博が開か れた所で、周辺にはたくさんの大使館があった。
スペインは4つの国に別れていて、500年前に一つに統一された。そのため国家意識が少
なく、国のあちこちにスペイン広場を作って、国家意識を高めたようだ。
統一前の4人の王が担ぐコロンブスの墓 カテドラル
カテドラルにあるコロンブスの墓には、1894年キューバから送られてきたコロンブスの遺灰
が収められていると言われていたが、最近、DNA鑑定でコロンブスの遺灰であることが証明さ れた。写真ではわからないが、4人の王たちの胸の衣装の紋章が、それぞれの王国を示して いる。カテドラルは110年かかって完成。教会としては、ローマのサン・ピエトロ大寺院、ロンド ンのセント・ポール大寺院に次ぐヨーロッパ第3位の大きさだそうだ。
カテドラルの近くに、かってのユダヤ人街サンタ・クルース街が残っていた。真っ白い壁に、細
く入り組んだ路地。なんとなく華奢な感じがする。周りは厚い城壁で囲まれ、この中を水道管が 走っていた跡があった。ナポレオンに襲撃されたことで有名だそうだ。
その後、137km離れたコルドバへ。コルドバは8世紀の中頃から300年間、回教王国の首
都として栄えた都である。一時は「西方の真珠」と呼ばれたほど栄華を誇り、回教寺院が
600,公衆浴場だけでも900軒、人口は50万人を超えていたそうだ。ローマとも深く関わって
いて、皇帝ネロの家庭教師であったセネカは、ここで生まれている。スペインに来る前、セビリ ヤもコルドバも知らなかったが、清潔で、きらびやかさのないこの町には好感が持てた。
当時モスクはメスキータと言われていて、中でも有名なのが馬蹄形アーチが854本並ぶ次ペ
ージの礼拝所である。赤い部分がレンガで、白い部分は化粧しっくいである。幻想的雰囲気を 醸し出すためだそうで、堂内の照明は薄暗かった。
ここにも、カテドラルのすぐ近くにユダヤ人街があった。狭い入り組んだ道は“花の小道”と呼
ばれ、道を挟むように建っている家々の白い壁には小さな植木鉢が掛けられ、赤い花が咲き 乱れていた。ちょっと大きな家には、甲冑をまとった騎士が今にも現れてきそうな中庭が必ず あった。
コルドバからスペイン新幹線でマドリッドに向かった。時速はJRの新幹線と同じぐらいだと言
うが、スピード感がなくローカル線の特急ぐらいにしか感じられなかった。 ![]() |