エフェソス遺跡
エフェソス遺跡

 エジプト考古学博物館からホテルに帰ったのが午後十時近く。ロビー集合が午前1:30。大
急ぎでシャワーを浴び、スーツケースに荷物を積み込んだら、午前零時を過ぎていた。私はち
ょっと眠ったが、家内は寝坊したら大変と眠らなかった。カイロ発午前3:45の飛行機(満席)
でイスタンブールへ。それから国内線でイズミールに午前9:00着。みんな疲れた様子もなく、
最後まで好感の持てなかったトルコ人ガイドの案内で、三日間にわたってシルクロードを一路
東へ、一六〇〇キロの旅のスタートを切った。
 
 エフェソスではまだ遺跡の10%も掘り出していないようで、残っている円柱、国会議事堂、売
春宿、図書館、円形競技場、男女一緒の公衆便所等手入れもせずそのまま放置されていて、
瓦礫の街に足を踏み入れたみたいだった。日本とほとんど同じ気温のトルコは冬で寒い。ポプ
ラとなだらかな丘陵の続く広い平原を、バスはひたすら走る。

 トルコの91%がイスラム教。1日5回お祈りしているのは全国民の半分ぐらいで、1920年
以来、政教は完全分離されたという。どのモスクにも尖塔があるが、昔、あの中のらせん階段
を上って大きな声で礼拝の時間を知らせたそうだ。今は、勿論スピーカーで知らせていて、ど
の塔にもスピーカーが数個くくりつけられている。朝5時頃になると、スピーカーからお祈りの声
が聞こえた。

 7世紀頃のシルクロードには山賊が横行していたそうで、サラバン隊は25km毎に設けられ
た商人宿(右下写真)に明るいうちに投宿したという。商人宿には警備人がいて、どの宿にも城
壁が巡らされていたらしい。
 パムッカレでは、早朝、裸足になって暖かい水が流れる石灰棚を散策。雪が降ったような不
思議な白い光景が、なんとも幻想的だった。

   写真左:エフェソス遺跡。正面奥が海でクレオパトラとアントニーが歩いたと言われている。














 
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