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長崎空港からバスで平和公園に向かった。高速で約1時間近く走り、松山町で降りると平和
公園は目の前だった。市内の主要道路には路面電車とバスがそれぞれ数分おきに走ってい るので、移動にはまったく不自由しなかった。 ![]()
原爆落下中心地に建つ碑
碑にはこう記されてあった。
〈昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾がこの上空500mで炸裂し、一瞬のう
ちに73,800人の尊い生命を奪い、76,700人の負傷者を出した。同時に家屋の焼失
11,500戸、全焼または大破したもの6,800戸、ここを中心として2.5kmに及ぶ地域が壊
滅し、その惨状は筆舌に尽くし難い〉
長崎原爆資料館には数え切れないほどの屍が瓦礫の中に写っていて、「母ちゃんに会いた
い。父ちゃんに会いたい。兄ちゃんや妹たちにも会いたい。神様、どうかあの日に戻してくださ い」 と一人生き残った7歳の男の子の言葉には心を深く抉られた。 ![]()
浦上天主堂
東洋一の壮大さを誇った天主堂だったそうだが、原爆投下後の写真では一部の堂壁を残
して建物は無惨にも崩れ落ちていた。
暗い思いを引きずったまま、バスで稲佐山に向かった。稲佐山からの夜景は日本三大のひ
とつと言われていて、長崎港や市街地の夜景は素晴らしいという。土・日や祭日ともなると沢山 の人で賑わい、ロープウェイは長蛇の列になるという。 ![]() |