アンコールワットへの旅


アンコールワットへの旅








 

  アンコールワット 早朝は白い蓮の花が咲いてまるで天に昇ったような気になるらしい
 
  アンコール王朝は9世紀に起こり13世紀には栄華を極め、美術的にも技術的にも優れた
建造物を遺した。しかし、14世紀にタイのアユタヤ朝に滅ぼされてからの400年間は、密林に
放置されて樹木の生い茂る廃墟と化し、クメール人の人たちにも忘れられてしまったという。
 1887年に仏領インドシナになってからフランスが中心となって遺跡を発掘、調査、修復して
いったが、1953年に独立してからは内戦などが原因で極端な経済の悪化に見舞われ、アン
コール遺跡は再び廃墟を余儀なくされた。

 1992年にユネスコの世界遺産に登録され、ポル・ポト政権が倒れてから政情が安定し、世
界各国の援助のもとでアンコール遺跡の保存や修復が急速に進められている。しかし、民衆
はまだ貧しく、どこの遺跡に行っても3、4歳から12、3歳の子どもたちに、遺跡の写真やスカ
ーフ、Tシャツを買ってくれ、としつこくつきまとわれた。彼らは一目で日本人、韓国人、中国人
の見分けがつくそうで、必ず日本語で「こんにちは」と声をかけられた。
 はっきり意志表示しないとどこまでもついてくるし要らないので、「ノー、サンキュウ」と厳しい
顔をして断わらざるをえなかったが、彼らの必死な眼差しとあどけなさに、心は重く沈んだ。買
う代わりにいつもキャンディをポケットに入れて手に持たせたが、日本語で「ありがとう」とキャ
ンディを手にギュッと握りしめていつまでも見送っていた。どの子も裸足で、顔も手も汚れ、長
い間洗っていないようなシャツとズボン、スカートを穿いていた。

 ホテル前の大通りは建設ラッシュで、ガイドはここもここもできたばかりだ、と大きなホテルを
指差した。あと10年もしたら、見違えるほどの街に生まれ変わって、人々の生活が豊かになる
ことを強く願った。

 どこに行ってもドルが通用した。1ドル以下のお釣りは現地のリエルだったが、それ以上のお
釣りはドルで返ってきた。

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