ポンペイ・ナポリ
  
 ローマからポンペイへ260km。高速道路の出口で、左下写真のトラック賃上げストに見舞
われてしまった。片側3車線の道路にトラックが延々数キロにわたって3〜4列で縦列駐車し、
バスがやっと一台通れるだけの隙間を車が一列になって進んでいた。何故か、タイヤの空気
を抜いたトラックもあり、車のまわりには捨てたゴミが散乱し、無精髭を生やした男たちが四,
五人ずつかたまって所在なさげに雑談していた。昨夜、アッシジからローマに来る途中、ストの
影響で高速が閉鎖し、暗い山の中を迂回してきたため一時間以上遅れて大迷惑を被ったが、
ストは今日で3日目だという。トラックストが航空ストを誘発することもあるそうで、そうならない
よう祈るしかなかった。
 右はサンタ・ルチア港に建つヌオーヴォ城。15世紀にここを支配した王の住居だという。ナポ
リを見て死ねという言葉もあるが、ナポリは大変風光明媚な所だと思っていたが来てがっか
り。南紀白浜や南紀勝浦の忘帰洞から海を見た方がずっときれいだった。














 写真下はポンペイの遺跡。下左写真の奥に見えるのが爆発したヴェスヴィオ火山。3千mの
山が爆発で中腹が吹っ飛び、こんな形になったそうだ。爆発直前にはローマの支配下で商業
地、別荘地として栄えていたそうで、人口は1万〜2万人。約2000人が犠牲になったという。
 1700年もの間地中に眠っていて、発掘が始まったのは18世紀半ば。 碁盤の目のような
街路に1900年前の神殿、浴場、住宅、パン屋、洗濯屋、酒場、売春宿などがあった。ポンペ
イが埋没した頃に流行っていた宗教の秘儀を描いた壁画が見ものだというので秘儀荘の見学
を期待していたが、真正面から見られなかったので秘儀さがよくわからなかった。
















 アッシジ                                                                                               ローマ1