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3日目の午後、ウィーンの森に行った。ウィーン市を取り囲む1200kuもある広大な森で、
中には高さが200〜900mの山がいくつもあった。城も多く、リヒテンシュタイン城はいかにも 苔生した古城という感じだった。ウィーンの森は音楽家に大変縁があり、シューベルトが興趣を そそられて作曲したという菩提樹を見て、ベートーベンが歩いたというヘレーナ渓谷に行った が、渓谷での散策は吹雪で中止となり、シトー派の修道院ハイリゲンクロイツに向かった。
1100年前に建てられたという修道院の中には火はなく、どこもかしこも凍えそうな寒さだっ
た。この修道院では、修道僧たちが粗衣粗食に甘んじ、労役に服し、聖書を朗読して、神に祈 りを捧げているという。あたりに漂う敬虔さに、身も心もきりりとなった。
次に向かったのは、すぐ近くにあるマイヤーリングの狩猟館である。ここはハプスブルグ家最
後の皇帝、フランツ・ヨーゼフのたった一人の王子ルードルフが、男爵令嬢と1889年に心中 した所である。当時、ハプスブルグ家の皇位継承をめぐって謀略が渦巻いており、心中説か陰 謀説かいまだに決着がついていなく、「マイヤーリングの悲劇」として語り継がれているそうだ。 妻子のあるハプスブルグ家の皇位継承者が、独身の女性を道連れにしたのである。大変な スキャンダルになっただろうことは想像に難くない。
その後、甥が皇位継承者になったが、敵弾に当たって死亡。その後、その息子が皇位継承
者になったが、ヨーゼフの死去と第1次世界大戦の勃発で1918年、ハプスブルグ帝国は瓦 解したのである。
左:リヒテンシュタイン城 中:修道院 右:マイヤーリングの狩猟館
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