イスタンブール

 洞窟レストランで鱒焼きを食べてから、火山活動で堆積した溶岩や火山灰が長い間に浸食さ
れてできた奇岩群や渓谷を見物。その後、カイセリから飛行機でイスタンブールに向かった。 

イスタンブール
 イスタンブールは、もともとギリシャの植民都市ビザンチウムが発祥で、ヨーロッパとアジア大
陸を結ぶボスポラス海峡の西岸に位置し、交通の要衝だった。紀元330年、コンスタンティヌ
ス一世がここに東ローマ帝国を創立してからコンスタンティノープルと呼ばれるようになり、それ
以来1123年間にわたり、ギリシャ語を話すローマ帝国の首都として栄えた。一四五三年、野
望に燃えるトルコの若き王マホメッド二世が五〇日間にわたる攻防の末にここを攻略し、イス
タンブールと名を変えたのである。(以上は、飛行の中で読んだ新潮文庫塩野七生著「コンスタ
ンティノープルの攻落」による)

 ギリシャ正教からイスラム教への返還が内部の壁面に残るアヤ・ソフィヤ教会への入場観光
が出来なかったのは残念だったが、ブルーモスクはただただ繊細なまでに美しかった。(トップ
ページ イワナ記 を参照下さい)
 ブルーモスクと言わる所以は、モスク内部の壁タイルがイスラム教にとって聖なる色とされる
ブルーだからで、花模様が一枚一枚のタイルに緑に近い青で鮮やかに描かれてあった。

 下左:ブルーモスク。 下右:ボスポラス海峡。橋の左がヨーロッパ、右がアジア。
 
  












 この後、歴代王の居城だったトプカプ宮殿へ。ここもカメラやビデオの持ち込みは許されなか
ったが、王たちの金の玉座、ダイヤでキラキラと輝く短剣、周りに数カラットのダイヤ49個をち
りばめた86カラットのダイヤ、ルビー、サファイヤ、トルコ石、エメラルド、パール、オパール、
金、銀とまばゆいばかりに展示されてあって、あちこちから感嘆の声があがっていた。
 その後、4000件以上の店が並ぶイスタンブール最大のマーケット、グランドバザールへ。
 天井は円形で、中に入っただけで人の声がわーんとこだましていた。金銀細工、宝石、トルコ
絨毯、皮革製品、洋服、日用品などあらゆるものが揃っていた。

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