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出島・思案橋
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15分の1の縮小で再現された出島
パンフレットには、〈寛永13年、江戸幕府はポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止する
ため、長崎の有力な町人に命じて約15、000uの人工の島を築き、そこにポルトガル人を収 容した。それ以来出島は、1859年(安政6年)までの218年間、世界に開かれた我が国唯一 の窓口として、日本の近代化に大きな役割を果たした〉とある。
政府の許可なくポルトガル人がこの島から自由に出ることは禁じられ、役人以外の日本人の
入出も禁じられていたようだが、ポルトガル人たちはこの島でパーティを開いて本国と変わらな い豪華なご馳走を食べたり、玉突きをしたりして、楽しんでいたようだ。 ![]()
思案橋の歓楽街
思案橋を見たいと思って路面電車で思案橋で降り、探したが見つからない。通行人に聞いた
ら、あそこが思案橋の跡だ、と広い四つ角を指差した。一時を過ぎていたので、大きな中華料 理屋に入って、チャンポンを頼んだ。昨夜は新地中華街に行って皿うどん(東京でいうかた焼 きそば)とピータン(アヒルの卵)でビールと老酒を飲んだが、皿うどんは忘れられないほど美味 しかった。美味しいチャンポンを期待して頼んだのだが当てが外れた。歓楽街にはこれでよく 商売がやっていけるなと思うぐらいスナックや飲み屋が、ぎっしりと軒を広げていた。
今回長崎に来た目的はもう一つあった。同じ会社で働いていた仲間と46年ぶりに会うためで
ある。現在、彼は宮崎県の日向市に住んでいるが驚いたことに、日向市まで電車だと鹿児島 経由で行っても、福岡経由で行っても8〜9時間かかる。高速バスだと宮崎駅まで5時間30 分、宮崎から日向市まで特急で約50分。待ち時間も入れて7時間弱。結局、高速バスで行くこ とにしたが、バスは日に二便だけである。16時30分のバスに乗り、日向市駅に着いたら23 時23分。友人が車で迎えに来ていた。別れた時は共に20代半ば。お互いに、今では70過ぎ の老人になっていたが一目で相手がわかり、固い握手を交わした。懐かしかった。 ![]() |