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2006年12月11日午前11時55分、成田空港からフィンランド航空にて家内と8日間にわ
たるスペイン旅行に出かけた。ヘルシンキで乗り換えてバルセロナまで約16時間の旅であ る。旅行社は気心の知れた阪急交通社で、33人のツアーだった。この時期はいつも、女子大 生が2〜3組、10人位いて華やかなのだが、今回は50〜60代の夫婦連れ、友人同士がほと んどで、若い女性はお母さんに付き添ってきている二人の女子大生だけだった。
バルセロナに着いたのは20時20分。バルセロナからバスでシッチスという地中海に臨む高
級別荘地のあるホテルに行き、シャワーを浴びてベッドに入ったのは現地時間の午前〇時。 日本との誤差は−8時間なので、朝、5時30分に起きてから26時間以上起きていたことにな る。さすがに疲れた。
翌朝、地中海に浮かぶ島々を撮りたくて7時半頃海岸に出たが、辺りはまだ真っ暗で8時を
過ぎないと明るくならない。さすがに大きな豪邸ばかりで、夏にはフランス人の金持ちたちが大 挙押しかけてきて、2ヶ月ほど滞在していくらしい。海沿いの道は広く、そしてきれいで、日本に はこれほどの高級感が漂う別荘地は見当たらないような気がした。
シッチスから4〜5車線の広い道路が交差して走り、バルセロナ市内に入ると街は碁盤の目
状に整然と区画されていた。道の両側に9階建てぐらいのアパートがびっしり連なり、日本のよ うに低い個人住宅がないので、すっきりした感じがする。舗装道路も凹凸が少なく、乗っていて も快適だった。渋滞は世界共通のようで、ここでも何度か見舞わられた。
バルセロナではモンジュイックの丘、グエール公園、サグラダ・ファミリア(聖家族教会。サグ
ラダは「聖なる」という意味で、ファミリアは「家族」という意味)、ピカソ美術館に行った。ここに はピカソが少年時代に描いた数え切れないほどのデッサンや油絵が飾ってあったが、ある人 の臨終を描いた大きな油絵は、ヨーロッパの高名な画家の絵だと言われてわからないほどの 出来映えで、とても14歳の少年が描いたとは信じられなかった。生涯で、1万枚以上のデッサ ンを描いたというから驚きだ。
モンは丘、ジュイックはユダヤ人の意味だそうで、異教徒であるユダヤ人たちがここに集まっ
て住んでいたので、モンジュイックの丘と呼ばれるようになったという。ここからは市内と地中海 が一望でき、サグラダファミリアのあの特徴のある尖塔も見えた。サグラダファミリアの建設に 着手したのは100年前で、この調子で順調に建設が進んでいっても、完成まであと200年は かかるという。まださかんに建設中で、通路に屋根のない所もあり、尖塔ではクレーン車が作 動し、聖堂の中では石工たちが働いていた。
スペイン人は陽気だと聞いていたが、実感したのはマドリッドで小学校6年生ぐらいの子供た
ちに取り囲まれた時だけだった。レストランなどで会った店員はどちらかというと無愛想で、釣 り銭の勘定もろくにできなかった。セントが入ると、必ず間違える。それもおつりが2ユーロ50 セントなのに2ユーロ30とか40セントならまだいいが、1ユーロだったり、たった50セントだっ たりする。おつりがなくてもすむような飲み物を頼んだり、隣に座った人と融通し合って、おつり を貰わなくてもすむようにした。
グエール公園は小高い丘の上にあって、サグラダ・ファミリア聖堂の建築家ガウディーが開
発しようとした分譲住宅地跡である。ガウディーが住んでいた家はガウディーが設計したもの で、外壁に龍をあしらった珍しい建物だった。ガウディーと聞いてもピンと来る日本人は少ない と思うが、スペインでは誰もが知っている名前だそうで、現地ガイドの口からイヤになるほど聞 かされた。 ![]() |